記事一覧

スポンサードエリア

→当ブログ記事関連の←

→健康おすすめ商品・サービスは←

→コチラ←

母のバイタリティ

うちの母ですが、69歳で末期がんと告知されるまでは比較的健康な体でした。

なにせうちに嫁いできてから、子供を二人育て上げたのですが

その途中は

私が幼稚園ごろ私の同居の祖父(父方)が突然血を洗面器いっぱい吐いたのです。
数年ほど自宅介護を母がしました。
祖父の体調も落ち着いたときに祖母(母方)が体調を崩し1年程入院しました。
(なんの病気かは聞いていません)
祖母の体調が回復し退院したとたん祖父が脳梗塞で倒れました。
私が小3だったでしょうか、祖父は私が小6でなくなりました。
祖父は半分寝たきりだったのですが、その介護は主に健康な母がやっていました。

祖父が亡くなりしばらくは何事もなかったのですが、私が中3のときに父がくも膜下出血で倒れました。
(その後30年以上たった現在でも障害を抱えながらですが生きてはいます)
ICUで3か月、入院生活は2年ほどにもなりました。

その間、母がつきっきりで入院介護でした。
私と姉は祖母と近所の親戚に面倒を見てもらいました。

退院後も父は失語症やなんやで家にいるだけの人でした。
トイレなどは自分でできましたので手間はそれほどかかりませんでしたが、コミュニケーションがいまいちやりづらかった時期でした。
その後、父は現在に至るまで自宅療養です。だんだんと言葉も思い出し身の回りのことでできることも増えましたが、40代前半から無職です。

さて、次は私が高校を卒業する直前です。
祖母が餅をのどに詰まらせ病院に搬送されました。

救急車が来た時にはすでに意識はなくなっていました。
救急車が来るまでは母が祖母の口から餅を吐き出させようと手を突っ込んだり背中をたたいたりしていましたが餅が出てくることはありませんでした。

結局祖母は意識の戻らないまま半年後に亡くなりました。
病院に入ったときに自発呼吸はしておらず、ずっと人工呼吸器のお世話になっていました。
もちろん入院介護は母でした。

その後生活にも困ったことから、母は保険の外交員として就職しました。
母は結婚前に少し働いていたことがありましたが、約25年以上ぶりの再就職でした。
仕事を始めてしばらくして原付の免許を取ってきました。
相当ふらふらして乗っていたので気を付けるよう言い聞かせていたのですが、勝手に転んで顔に大きな擦り傷を作ってきたこともありました。
そんななので車の免許は絶対に取るなと、姉と釘をさしたのですが、これも知らないうちに免許を取っていました。
それがなぜわかったかというと、車に乗って帰ってきたからです。
免許を取ったことを言ってから車を買おうとすれば我々に強く反対されることをわかっての確信犯的車購入でした。

そして10年ほど前から今度は母方の祖母、そうです、母の母が体調を崩し介護が必要になりました。
母方の祖母は一人暮らしでした。
母は自宅と祖母宅を往復しながら介護をしました。
その頃は私も姉も実家を出ていたので、母は父の世話と保険の外交と祖母の介護をしました。
そして母方の祖母が亡くなったのが4年と少し前です。最後の3年は認知症も併発していました。

母はざくっと40年ほど介護から離れられない生活をしてきました。

大変だったと思うのですが、本人はいたって平気な様で、慌てたという話は聞いたことはあっても嫌だったとかいう話は言われたこともありません。

一応尊敬しています。
すごいバイタリティだと思います。




関連記事
レジェンド声優と懐かしのアニメ(野沢那智と「スペースコブラ」)(野沢雅子①と「釣りキチ三平」)(富永みーなと「魔法の妖精ペルシャ」)(田中真弓と「おそ松くん(新)」)(鶴ひろみと「みゆき」)(石丸博也と「マジンガーZ」)(古谷徹と「聖闘士星矢」)


できればポチッとお願いします

にほんブログ村

にほんブログ村
にほんブログ村 病気ブログ がん 骨転移へ
にほんブログ村

がん・腫瘍ランキング

進め!100キロウォーク 歩いて健康に!

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

スポンサードエリア

プライバシーポリシー

当サイトは第三者配信の広告サービス「Google Adsense グーグルアドセンス」を利用しています。 広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた広告を表示するためにCookie(クッキー)を使用することがあります。 Cookie(クッキー)を無効にする設定およびGoogleアドセンスに関する詳細は「広告 – ポリシーと規約 – Google」をご覧ください。