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肺がんのおじさんⅡ③

肺がんのおじさんⅡ②のつづきです

おじさんBが肺がんと診断されたのは私が20代前半のころでした。

その頃には毎年恒例だった夏の旅行もなくなってから10年以上たっていたので年に数回会う程度でした。

大人同士はもっと会っていたのですが、子供たちはこどもなりの予定があったりと親についていくことも少なくなっていました。

それでもうちの母とおじさんBの奥さんは仲が良かったので、おじさんB家の近況は私たちにもよく入っていました。
息子さんが郵便局に勤めだしたとか、娘さんが看護師になったとか。

娘さんがその看護師になった年でした。
夏におじさんBが肺がんと診断されました。

おじさんBは大人しく優しいひとでしたが、昔の人なのでお酒とタバコは日常的にやっていました。
飲んだら顔を真っ赤にしながら陽気になりましたが、決して人にからんだりすることのない理性的で楽しいお酒の飲み方をしていました。
タバコは強めのものを一日ひと箱ぐらい吸っていたようです。

診断された時点でおじさんBも手術は難しいとのことで抗がん剤治療をすることになりました。
こちらのご家族は本人にもがん告知をすることを希望されてました。
おじさんの希望もあったからです。

手術が難しいという時点でおじさんBも家族も医師から余命宣告を半年から一年と聞かされました。

もちろんそこからお酒もたばこも禁止です。
おじさんはタバコは案外簡単にやめられたそうです。
お酒の方は最後までとても飲みたがっていたみたいです。

娘さんは就職したばかりですが、看護師でありまだ若かったこともあり仕事の前か終わりにおじさんBの入院している病院に行き看病しました。

おばさんは専業主婦だったので看病する時間はあったのですが、おじさんBの体を心配しすぎてすぐに疲れてしまうようになっていました。
おじさんBには心配かけないようにおじさんBの前では気丈に振舞っていましたが。
その分子供たちがおばさんと交代でおじさんBに付き添うことにしたのです。

例えば娘さんが仕事が遅番のときは、朝に娘さんがおじさんBを看病し、昼から夕方までおばさんが看病し、夜は息子さんが看病するといった感じで、なるべくおじさんBを一人にしないような体制を組んでいました。

無理な日もあるのですがそういう日は携帯電話でおじさんBと世間話をするなどなんらかのコミュニケーションをとるようにしていました。
とても家族に愛されていました。

何年か後に聞いてみましたが、やっぱりタバコについては後悔していたようです。
「タバコのせいだろうなぁ、迷惑かけてすまないな」と言っていたそうです。

おじさんBが入院してすぐと年末に私たち一家でお見舞いに行きました。
初めのお見舞いの時は、抗がん剤の影響はあるもののニコやかに応対してもらえました。
「みんなわざわざごめんね。久しぶりにあえてよかった」と言ってもらいました。

私と姉はこの時点ではおじさんBが癌だとはきいていませんでしたので、なんとなくそのうち治ると思っていました。
父と母は軽くはきいていたようです。後に聞いた話では手術をしないということから相当悪い状態であることは薄々感づいていたと言っていました。

私たちが病室を出てから、父が
「ちょっと忘れ物をしたから取りに行ってくる。ロビーで待ってて。」
といっておじさんBの病室にもどりました。
私と姉と母は、見送りに来てくれたおばさんと息子さん娘さんとロビーで思い出話をしながら待つことにしました。

忘れ物を取りに行ったわりには父はなかなか戻ってきませんでした。
戻ってきたのは20分ほどしてからでした。

後にきくところによると、おじさんBから
「たぶんだめだろうから家族をたのむ」
的なことを言われたらしいです。
あまり詳しく話してくれないのでその程度のことしかわかりませんが、この時点でおじさんBは相当の覚悟をしていたことは伺えます。

なにしろ、うちの父にそんなことを言うくらいですから。
過去記事にも書きましたが、うちの父は40歳半ばでクモ膜下出血になりとても健常者とは言えない頼りない状態(しかも無職)だからです。
なお、この時点の父は、自分のことは自分でできるくらいに回復して、失語症もまあま回復していました。
一般人の「泥酔一歩手前」くらいには会話ができる感じです。

おじさんBも金銭的な「頼む」ではなく「ずっと仲良くしてやってくれ」というつもりで言ったのでしょう。

それ以上は何を話したのか今でも謎です。

お見舞いは私たち一家で2回行ったと書きましたが
一回目のお見舞いの後、父と母は月に1~2回くらいおじさんBのお見舞いに行っています。
一家全員で行ったのが全部で2回です。
おじさんBだけでなくおばさんへの気分転嫁などもさせてあげたかったみたいです。
あと父が大変なときにおじさんBたちにはずいぶん励ましてもらった恩返しもありました。

どんな見舞い方だったのかはわかりませんが、母が父のことを
「おじさんBの病室の見舞のお菓子とかを勝手に食べて恥ずかしい」
とか言っていたので、もしかしたら迷惑がられていたのかもしれません。
(ちゃんと見舞っていたと信じたい)

2回目の私たち一家でのお見舞いはたぶん12月ごろだったでしょうか、ずいぶん寒くなっていたと思います。

私は見たいテレビがあって行きたくなかったのですが、母から「危ないみたいだから」と言われて行くことにしました。
危ないとはしらなかった私は「危ないってどういうとこ?」と聞くと母は「癌だからよ。知らなかった?」と言いました。
はい、聞いてなかったですよ?言いました?って気分でした。
ことがことだけにこの言葉は飲み込みましたが。

前回の初秋の見舞いのときは普通に会話ができていたのですが、この時はもうすでに全く意識がありませんでした。
この1週間ほど前から意識をなくしていたようです。
それでももしかしたら聞いているかもしれないからと、おじさんB一家は普通におじさんBに話しかけていました。
うちの両親としても我々に生きているうちに最後の別れをさせようと思ったのでしょう。

おじさんが亡くなったのは年が明けて1月の半ばのことでした。

棺を閉めるときは息子さんが
「がんばったね。もうビールいっぱい杯飲んでいいからね」
といってハンカチにしみこませたビールを口にあててあげていました。

家族総出でおじさんBの看病をつきっきりでやり、
おじさんBとたくさんの話をしたためか
葬儀では皆、思ったより冷静でした。
私は、泣き叫んだり憔悴しきったりとなると思っていたのです。

葬式や火葬の時は泣いてはいましたが、それ以外はそれぞれやるべきことをやっているという感じでした。

十分お別れができていたんだろうなと思いました。


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